“限界”の見えにくい社会──追い詰められる人々が事件を起こすまで
投稿日 2025年11月3日 19:26:49 (コラム)
近年、突発的な犯罪や自暴自棄的な行動が目立つようになっている。加害者の多くは「真面目だった」「突然変わった」と周囲に語られるが、その“突然”は本当に突然ではない。生活の不安、孤立、将来への閉塞感が少しずつ積み重なり、ある日限界を越える。にもかかわらず、社会はその「限界」を見つける仕組みを持たない。事件として表面化したとき、ようやく「何があったのか」と振り返るが、その問いが届くころには、取り返しのつかない事態になっている。
現代社会では、「自己責任」の意識が強調されるあまり、弱音や不安を表明することが難しくなっている。経済格差が拡大し、正規雇用が減少する中で、多くの人が不安定な生活を余儀なくされている。それでも「頑張れば報われる」「努力が足りない」といった価値観が根強く残るため、苦しみを抱えた人ほど声を上げづらくなる。
心理的には、SNSを通じて他人の成功や幸福が可視化され、「自分だけが取り残されている」という感覚が強まる。社会的支援の網が薄くなる一方で、孤立した個人が過度に自己責任を背負い込み、精神的な限界を迎えるケースが増えているのだ。
問題は、こうした“限界状態”に陥る人を早期に発見する仕組みがほとんど存在しない点にある。行政や地域、企業の支援制度は「困っている人が自ら申請する」ことを前提に設計されており、声を出せない人ほど取り残される。
さらに、メディア報道が個人の「性格」や「環境の特殊性」に焦点を当てがちで、社会構造的な背景が見えにくい。事件を「異常な個人の問題」として処理する限り、同様の悲劇は繰り返される。社会全体が「誰もが限界に近づきうる」という現実を直視できていないことが、根本的な課題である。
必要なのは、“声を上げられない人”に寄り添う仕組みだ。行政支援を「申請待ち型」から「伴走型」に変え、孤立しやすい層に定期的な接触を行うことが重要である。また、企業や学校もメンタルヘルスを「個人の管理能力」ではなく「組織の責任」として扱う意識改革が求められる。
加えて、報道や教育の現場では、「事件を起こした人」ではなく「事件を起こさざるを得なかった社会」を問う視点が欠かせない。
社会が人々の“限界”を感知できる感度を取り戻すこと――それが、突発的な事件を防ぐための最も現実的な第一歩となる。